206001 [売買物件] 上杉鷹山公に仕えた米沢藩士の古民家
この家は、上杉鷹山公に仕えた米沢藩史でもある吉田綱富が享和3年(1803)に建築したものです。中門造り形式の旧武家屋敷の典型的な姿を示してくれるとともに、ほとんどの部分で建築当時の様子を見ることができる、歴史的にも貴重な古民家です。
現在、持ち主の方は東京に在住であり、年に5~6回ほどメンテナンスを兼ね短絡的に移住しているので、非常に良好な状態を保っています。
米沢市大字南原猪苗代町2917はこんなところです
上杉 鷹山(1752~1822)
山形県米沢市にある、茅葺き屋根の武家屋敷。この家の建築主が仕えていたのは米沢藩主 上杉鷹山公です。17歳で藩主になった当時、米沢藩が莫大な借財をかかえていましたが、改革的な政策で米沢藩を復興させました。有名な言葉として「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」があります。損得勘定ではく世の中の為に行動するという意味合いが含まれいます。現代にも通じる言葉であり、アメリカのケネディ大統領も鷹山を尊敬していたといいます。
米沢城下町 地図
本丸 東西約168m、南北約145m、面積約2万4千㎡、周囲の土手の外側に、深さ約3.6~5.4m、幅約23~31mの堀をめぐらせました。内に藩主の居宅や関係の建物、東南隅の一段高い所に御堂を建て、藩祖謙信の遺骸をおまつりしました。天守閣は作らなかったが東北隅及び西北隅に三階の櫓をつくり物見としています。土手の上には矢狭間や鉄砲狭間を備えた多門などが設けられました。東の太鼓門を正門とし、大橋で二の丸の大手門に通じています。南に菱門、北に通用門の御北門がありました。
上杉神社
現在は桜の名所にもなっており、毎年多くの観光客が訪れます。
米沢上杉祭り 川中島の合戦
川中島の合戦は、日本の戦国時代に、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いをいいます。最大の激戦となった第四次の戦いが千曲川と犀川が合流する三角状の平坦地である川中島を中心に行われたことから、その他の場所で行われた戦いも総称として川中島の合戦と呼ばれます。
この物件を鑑定いたしました古民家鑑定士を紹介します。
古民家鑑定士名 色摩 崇
所属先 株式会社 本多建設
取得資格 古民家鑑定士一級/伝統再築士/二級建築士/一級建築施工管理技士
福祉住環境コーディネーター3級
posted by 一般社団法人山形県古民家再生協会