204009 [売買物件] 白石・小原温泉近郊別荘活用古民家
上戸沢宿内に位置するこの場所は七ヶ宿街道の宿場町として栄えた集落で、仙台藩と福島藩領の藩境に隣接していた為、番所や検断屋敷が設けられ、足軽などがその任にあたっていました。持ち主は地元の上戸沢集落在住のご夫婦に手入れをお願いしており極端な傷みは無く、よくお手入れされており敷地や周囲環境との位置関係は問題はないとも思われます。ただ屋根に関しては早急な茅葺き屋根の対策を提案いたします。現況は雨漏れは目視できませんが出来れば現況の茅撤去し他の防水性の高い屋根仕様に葺き替えて施した方が建物の劣化は少なくなると思われことをお勧めします。
また、再生として活用する場合は最低リフォーム額として屋根の修繕が主な内訳ですがそれと同軸で重要な要素として耐震性の確保だと思われ当協会での次段階における診断・耐震改修に掛かる費用の算出だと思われます。当協会の”伝統構法による耐震補強工事”は”一般的な耐震改修”の1/2以下の費用で施工提供され、伝統構法の理にかなった耐震補強工事が可能で事業計画の面でもフラット35リノベ(土地とも対象)が当協会の会員のみ可能となっております。当主が継承される場合や売買にて購入なさった方も日本特有の風情を持つこの本格和風住宅を担保価値(耐震性)のある資産としても後世に残して行けるように我々も応援していきたいものです。
外景の庭に点在している樹木や池々や上戸沢河川が静寂と自然との一体感を感じる物件です。
宮城県白石市小原字桜下はこんなところです
伝統こけしは「系統的な伝統性があり、師弟関係が明確であるもの。且つ、その工人が制作した本人型も含む。」と定義されています。系統は諸説ありますが、白石市では10系統に分類しています。弥治郎こけしもそのうちの1系統です。
七ケ宿の宿駅の一つ、白石市上戸沢にあった木村家の母屋を、材木岩公園内に移築・復元したもの。木村家は、上戸沢宿の伝馬や宿駅関係を取り締まる検断役を勤めた家で、本陣に準ずる役割を担っていました。茅葺き屋根で寄棟造の建物は、座敷部と居宅部からなる平屋建て。江戸中期頃の建築と推定されており、宮城県指定の有形文化財になっています。
木村家は七ヶ所街道の宿場の1つ上戸沢宿の検断役を勤めた家柄です。上戸沢宿は七ヶ所街道の最南端にあたり検断役を中心に足軽などほとんどが、伝馬、輸送の業務に携わる人達で構成されており、20数軒の家屋が軒を連ねていました。上戸沢宿には本陣はありませんが木村家がそれに順ずる施設として機能しており、関札には大名やその一族が休息に利用していたのがわかります。
上戸沢部落は山中七ヶ宿街道の最南端に位置し20数件ほどからなる山間小集落で、仙台藩境の番所がおかれていた宿場でした。 七ヶ宿街道は、福島県小阪(現福島県国見町)から、上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原を経て、山形県上ノ山に至る街道で上戸沢から湯原まで仙台藩領の七つの宿場の存在から七ヶ宿街道と呼ばれています。上戸沢には、本陣はなく検断屋敷(宿場の伝馬人足を取り仕切る:木村家)が準本陣として、大名などの休憩にあてられていました。この検断屋敷は材木岩公園に復元されています。* 「検断屋敷」は、県指定有形文化財になっています。
白石和紙は、仙台藩の産業振興策によいり奨励され、その生産は農家の冬の副業として発展、江戸時代には紙漉き農家が300戸もあったと言われています。白石和紙は、強度があり耐久性に優れていることから、紙の衣類である紙衣や名刺入れ、ハンドバックなどに加工されています。
現在、和紙製品を作る工房は「佐藤紙子工房」と「吉見紙子工房」の2ヶ所だけになりましたが、それぞれ和紙の特性を活かした様々な作品を世に送り出しています。
プロのカメラマンによるフォトツアープランを造成しました!
白石城はもちろん、お城周辺の武家屋敷など、さまざまなシーンで写真撮影をすることができます。
着物はもちろん、甲冑を着てお城で写真を撮ったり、城下町で写真撮影は映える写真が撮れること間違いなし!
衣装もさまざまなものからお選びいただけますので、あなたの記念日がさらに特別な日になることでしょう。
この物件を鑑定いたしました古民家鑑定士を紹介します。
(一社)古民家再生協会 宮城第二支部 支部長
(一社)日本伝統再築士会 宮城支部 支部長
(一社)全国伝統耐震診断連合会 宮城支部 支部長
大阪市阿倍野区西田辺生まれ、大阪天満宮祭に生誕した縁にて名前を「満」を拝戴いたしその後、父の転勤にて地方を廻った末、宮城県に住居を定め現在に至っている。
4人家族の父親で一級設計事務所(ONENESS仙台設計企画室)を営みながら5年前より(一社)全国古民家再生協会に加盟店として活動しております。
posted by 一般社団法人古民家再生協会宮城中央