204008 [宮城] 涌谷町の旧家のお屋敷
涌谷町の閑静な地域に広大な敷地を持つ旧家の立派なお屋敷だと思います。
母屋は茅葺を疑似瓦鉄板梱包にて防水やメンテナンスを容易にしようとする意図が感じられ母屋と東側増築部分(190.35㎡)に水廻や生活圏や農業を支える農機具倉庫があり、築100年を越える伝統構法による建築物(母屋)と筋違等の現行法による建築物とが混在している。(調査対象は母屋のみ)広い庭は当主が不在で手入れが行き届いてはいないのが現状ですが鬱蒼とした樹木や植木には目を惹かれます。
また、登記上”畑”も1.223坪あり、ご当主により代々受け継がれ丁寧に管理されてきたこの伝統的な農家建築と農業の礎となる”畑”は周辺環境も含めぜひ後世に町の活性化に利活用されることが出来たら残していきたい建物です。
茅葺きの特徴ある小屋組みがみられます。
方位はほぼ上部が真北になっており図面1は古民家エリアで小屋裏部屋(厨子2階)は当時、蚕部屋として営んでいたなごりとして平面図上部に位置している。東側の廊下は東側増築部分との接合部分となっており構造的にはこの位置を介し混構造のエクスパン部分となっており主な水回りは増築部分(図面2には増築部分を添付。)にありその接合部になっています。
遠田郡涌谷町字裏桜町はこんなところです
令和5年11月30日現在の人口:14,656人、6,000世帯
天平二十一年、聖武天皇の思いが込められた盧舎那大仏の造立がまさに最終段階を迎えようとしていた時、大仏を綾なす黄金の発見が都に伝えられました。宇佐八幡の「必ず黄金を国内より出さん」との御神託どおり、四月十四日に陸奥の国から大量の黄金が献上されました。聖武天皇は、この瑞祥を喜ばれ、七月二日には天平感宝という日本で初めての四文字元号に改元されました。
聖武天皇が東大寺を建立された当時、世は天変地異・疫病・凶作等が続き、一方権力闘争までもが繰り返され、民衆の不安・困窮などに天皇は悩んでおられました。聖武天皇は、大仏建立を通して、人々が繋がりを深めて心を一つに結び、互いの力を合わせることによって災いを克服されんことを望まれました。
こうして多くの人々や各地の繋がりによって、天平勝宝四年四月九日に黄金に輝く盧舍那大仏が開眼されました。
古来秘法墨流しの流動美から色彩と文様の調和を表した竜文塗が生まれました。
竜文塗に色彩の改良を加えて「涌谷竜文塗」が誕生しました
宮城県涌谷町・気仙沼市・南三陸町、岩手県陸前高田市・平泉町の2市3町が、文化庁が認定する「日本遺産」に、「みちのくGOLD浪漫―黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどる―」を申請し、令和元年5月20日(月曜日)に令和元年度の認定を果たしました。
日本で初めて“金”が産出されたのは奈良時代の陸奥国。
現在の岩手県や宮城県を含み「みちのく」とも呼ばれるこの地が生んだ“金”は富の象徴のみならず、
奈良・東大寺の大仏や平泉・中尊寺金色堂を彩り、祈りの対象として人々の心に光を灯し続けてきました。
私たちは、時代とともに幾重にも結び付き、独自の文化や信仰、産業へと昇華した“金”と人々の縁を“みちのくGOLD”と名付け、
価値や魅力の掘り起しを始めました。
日々の生活や風土に溶け込んだ“みちのくGOLD”との出会いは、
悠久の時を経ても色褪せることのない浪漫に満ち溢れています
”わくや天平の湯”の
第一源泉は美肌効果の優れた「低張性アルカリ性」の温泉です。
「低張性」とは・・・サラサラしたやさしい湯で、温泉の水分が身体に吸収されやすいのが特徴的です。
この物件を鑑定いたしました古民家鑑定士を紹介します。
(一社)古民家再生協会 宮城第二支部 支部長
(一社)日本伝統再築士会 宮城支部 支部長
(一社)全国伝統耐震診断連合会 宮城支部 支部長
大阪市阿倍野区西田辺生まれ、大阪天満宮祭に生誕した縁にて名前を「満」を拝戴いたしその後、父の転勤にて地方を廻った末、宮城県に住居を定め現在に至っている。
4人家族の父親で一級設計事務所(ONENESS仙台設計企画室)を営みながら5年前より(一社)全国古民家再生協会に加盟店として活動しております。
posted by 一般社団法人古民家再生協会宮城中央